続いてご紹介の作品は、
「千回のおじぎをするアートワーク」。
東京在住の作家、三田村龍伸氏の作品。
今回NAPグループ展参加にあたって、この奈良という土地にとても真摯に向き合って頂いた作家の一人です。
土地のもつ作用を、三田村氏は自身の持つフィルターを通して、目に見える形にしました。
奈良はシルクロードの終着駅。
このような作品が産み出された事、奈良の良さ、現代美術というあいまいな存在の必要性、
その良さ。何か、とても実感させられます。
下記は作家による作品コメント
「千回のお辞儀をするアートワーク」は名前の通り、千回のお辞儀をするパフォーマンスを行う映像作品である。奈良といえば、日本最古の仏教都市である。その奈良で現代アートを展開する時、仏教的なものを自分の中にインストールしたいと考えた。仏教の修行では千回何かをするという形式を持つものが珍しくない。例えば、千日修行や千回題目(念仏)を唱える。千回滝に打たれる、などである。千回のお辞儀は相手を尊び、自分を尊び、生きる事への感謝。命の連鎖への感謝へと続くだろう。
お辞儀という行為は、「挨拶」、「反省」、「謝罪」、「尊敬」など様々な意味を内包している。今回は相手を尊ぶ気持ちを持ってのお辞儀を展開する。そして相手を尊ぶ行為が、「自分の物性を磨く行為としての修行をする」パフォーマンスにつながるよう展開していく。映像だけをミルと謝罪をしているように見えるが一番の目的は感謝の表出にある。
最近迄生きてきた事に素直に感謝するようになってきた。自然や草木、動物、親や兄弟、友人や先生など、周りの人・もの・事との「つながり」を意識するようになってきた。
美術を続けることの大変さを身に染みて、幾度も『これでいいのか、このような生き方でいいのか』と疑問を感じて来た。そう思うほど、自分の家族や応援してくれている人に対して感謝の気持ちを抱くようになった。
作品は「行為」の部分にあるが、映像作品として発表する。映像は編集で嘘をつく事が可能だ。だからこそ、取り直しは一切行っていない。一度一度のパフォーマンスはNGを含め、撮影している。スポーツの世界で「やり直し」がきかないのと同じような緊張感をもって行為を重ねた。
千回のお辞儀をするというアイディアに至った経緯は上記したが、正直やりはじめた頃は千回までの数が途方もなく感じられ、自分で設定した目標に対し、絶望的な気分を味わっていた。『これ、ちゃんと終わらせられるのかな』と何度思ったか分からない。パフォーマンスの後、映像編集も入ることを考えると心配事が多かった。
しかし、だからこそ、やる価値があったのだろう。NAPグループ展には「ザ・great 盆地フロンティア」というキャッチフレーズがついていた。日本最古の古都奈良に「開拓精神」、「チャレンジ精神」、「改革精神」そんなものを展開していこうとしているのだとすぐに察知した。僕はこのテーマに沿った作品を作りたいと強く意識した。だからこそ、僕も今までやったことのないことに挑戦してみようと思った。失敗したっていいじゃないか、挑戦しないよりは。パフォーマンスでやってみようという気持ちになった。
千回のお辞儀は無事達成された。この作品を見た人も達成感が感じられることと思う。
そしてパフォーマンスだけをみると謝罪をしているのか、感謝をしているのか。ヘットハンティングをしているのか分からない。この解釈の多様性も本作品の面白さの一つと考える。
(原文ママ)
人と人、それに限らず、自分と対象。
その間を私たちは何で埋めて渡っているのでしょう?
NAP ツカヤマ
つづく。